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■都留市護國神社(本殿) ■昭和大戦顕彰碑(忠誠通天)
■軍人勅諭の碑(至誠) ■満州南都留分村殉難之碑
■都留市
●護国神社
満蒙開拓南都留郷移民
昭和 7年 3月、満州国建設にともない始まった満蒙開拓団の入植は、
昭和11年には重要国策の一つとなり、
20年間に100万戸、500万人の大量入植計画がたてられ、
翌12年から実施段階に移った。
南都留郷広富山開拓団は、
国策にしたがい、昭和17年 6月、道志村の佐藤伝良が団長となり、
20年 5月までに団員442名の入植をみた。
開拓地は三江省(現黒竜江省)伊蘭県広富山の麓で、
広富山はその形が富士山に似ていることから名付けられた。
厳しい気候のなかで荒野を開拓する苦労はあったが、
日本の本土と違い、自給自足の生活で平和であった。
しかし、
敗色が濃くなった19年頃から男子はつぎつぎと召集され、
昭和20年の敗戦を境に開拓団の生活は一変した。
暴徒と化した現地人に全財産を奪われ、
日本人収容所への移動の途中では馬賊におそわれ、
ソ連軍の襲撃を受け半数が殉難した。
殉難碑は、広富山開拓団の生還者が、
殉難者264人の霊を慰さめるため、
当時の都留文科大学学長であった
諸橋徹次先生の選文により、昭和37年11月に建立された。
*「愛国顕彰ホームページ祖国日本」より引用させて頂きました。
(
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/)
もっと歩こうかな、山梨
camera : FinePix S6000fd